関隆のタクドラ物語

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おはようございます。

7月です!夏になりました!

7月は、12月、3月に次いで、タクシーニーズの高まる時です。

今は、積極的に稼ぎに行く時期ですよ!


さて、私も随分悩んでいたのですが、思い切ってニューヨークのタクシーを

自分の目で見に行ってくることにしました。

何しろ『東京のタクシーは世界一!』と思っていたのですが

ライドシェアの出現以来、国の見解としても

インフラやハード面では、今や「日本のタクシーは遅れてる」と判断されました。

そして、それが本当だし、仕方ない状況だということになり

事前確定や相乗り等の制度が導入されようとしています。

でも、本当にニューヨークではタクシーとウーバー、リフト等がどうなっているのか

市民に支持されているか疑問です。だからイエローキャブやウーバーに乗ってみて、

日本のタクシーがこれから真っ先に猛スピードでやっていくべきことを、

丸ごと理解するために、一人旅で、ちょっと不安ですが、思い切って行ってきます!

その間、2週ばかりですが、昔の私のタクドラ物語を流させていただきます。

もう、お読みいただいた方も多いと思いますが、よろしくお願いします。

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関 隆さんは、どんなきっかけでタクシードライバーになったのですか?

私、関隆が何故タクドラになったのか?を聞いてください。

私は、ある事業をしていました。その時、私は何も、ズルいことはしていなかったけど、ダマされて、裏切られました。誰も助けてはくれなかったし、神風も吹かなかった。倒産、自己破産をしてしまい、家を失くし、家族を食べさせることもできませんでした。

そんな時、「お父さんは運転がうまいんだから、タクシーの運転手さんになれば?」という娘の一言で家族のため、生活をするためにタクドラになりました。

タクシー業界のことは、何も知りませんでした。4社って何?チケットって何?東京都内の地理も、ほとんど知りません。募集広告をみて、N交通とK自動車をうけ即日採用だったK自動車に入社しました。

2種免許養成の間、当時8000円の日当で、稲毛の自宅から大崎まで1ヶ月通いました。交通費もかかり、タバコ銭にも事欠く日々でした。娘に「父ちゃん、300円借りた」と子供の貯金箱から100円玉を何回も借りたこと、娘も、今でも覚えています。

1ヶ月の養成期間中、昼食代もなく、昼休みは、水を飲んでガマンしていました。

1か月後、T営業所に新人では私ひとり配属されました。

関 隆さんは、初乗務の時のこと、初めてのお客様のことを覚えていらっしゃいますか?

今日から乗務できる。今日から稼げる。生きるために乗務するんだ。私は必死でした。でも、本当に大変でした。

初めてのお客様は、亀戸駅の横断歩道で手が上がり、「東京駅まで」と言われました。
緊張でパニックになっていました。行き方が全くわかりません。「申し訳ありません。今日初日なので行き方がわかりません」「えっ~。東京駅もわかんないの?もう、おりるよ」「待って下さい。お願いですから乗ってください。運転は20年以上無事故無違反ですし、自信はあります。お願いします。道を教えてください。」
「じゃあ、乗ってあげる。」「ありがとうございます。本当にありがとうございます。」そして、そのお客様はずっと丁寧に道を教えてくださいました。

今でも初めてのお客様のことを、はっきり覚えています。本当にありがたいお客様でした。その後も同じことが何度も何度もありました。でも、これまでひとりのお客様にも降りられたことはありません。それは、心からの「ありがとうございます」のことばを何度も言ったからだと思います。

【第一の夢は、つり銭BOXをもつこと】

関 隆さんは、つり銭BOXをもっていますか?

乗務にあたり、つり銭は自分で用意するんだということは、世間では知られていません。むしろ、会社がちゃんと、小銭を含め、つり銭BOXにしかるべきつり銭額をいれて、持たせてくれると思っています。

タクドラ関は、つり銭BOXを持っていませんでした。だって、お金がなかったんです。つり銭のためのタネ銭すらなかったのです。ですから、出庫時直後はヒヤヒヤです。「申し訳ありません。今、つり銭を切らしています。おつりがいるときは、コンビニで両替してもよろしいですか?」毎日、この繰り返しです。両替に入ったコンビニでは、100円のパンや団子を買いました。これが、夕食となるのです。もちろん、メーターは支払いにして上がらないようにしていました。たくさんのお客様にご迷惑をおかけしましたが、理解していただきました。でも、一人のお客様も逃したことはありませんでした。

だからお客様には心から「ありがとうございます」と言いたいのです。

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【日報を研究し、歩いて地理を覚える】

タクドラとして道を知らないというのは、お客様に失礼だと思いました。帰ったら、組合事務所で30円を払い、日報をコピーし、地図を確認し覚えるようにしました。

明けの日や公休の日は都内を歩いて覚えました。山手線の内側はほとんど歩きました。ジュースも買えないから公園で水を飲みます。だから、公園単位で街を覚えることになりました。疲れても、電車代もバス代もなかったから、ひたすら歩きました。
都内の繁華街も歩いて覚えました。通りを覚え、建物を覚え、店を覚えました。
だから、エレベーターの昇降がみえるポイントや、建物の外でも店からお客様が出たら声が聞こえるポイントもわかりました。繁華街も上野から、新宿、渋谷、池袋、六本木、赤坂の順で覚えました。

でも、私の目標は「銀座」でした。「タクドラとして早く一人前になって銀座へ行くんだ」との思いからです。銀座は日本一の繁華街です。「成功したら銀座で飲むんだ」「接待するなら銀座」と言われる街です。一日も早く、一人前になって銀座を攻める。そして自分がトップドライバーになれば、家族にも少しは楽をさせてやれると思ったからです。

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